「認知症の新しい常識」緑慎也氏
2021年4月27日現在、日本の新型コロナウイルス感染者は累計で約57万人。日々増加していく患者数に、誰もが明日は我が身と戦々恐々としていることだろう。しかし、私たちを脅かす疾患は新型コロナだけではない。とくに、世界トップクラスの高齢化率を誇る日本では、認知症から目を背けて生きることは不可能に近い。
「身の回りの人が新型コロナに感染したと耳にするよりも、自分の家族や友人あるいはその家族が認知症を患っているというケースの方がはるかに多いでしょう。それもそのはずで、2020年における日本の認知症患者はおよそ600万人。2025年には700万人に達すると予測されている。認知症患者の桁違いの多さに気付けるはずです」
自分自身が認知症を患わなくても、親や兄弟、配偶者が認知症患者になる確率を考えると、認知症は極めて大きな脅威であり、老若男女が共通して抱える課題と言える。本書では、高齢化が進む社会の宿命とも言える認知症について、症状やメカニズムなどの基本情報はもちろん、治療薬や治療法研究の最新情報を詳細につづっている。
「認知症のうち6、7割はアルツハイマー型認知症と言われ、その原因としてよく知られているのが“アミロイドβと呼ばれるタンパク質が脳に蓄積されるから”というもの。現在では、エピソード記憶を再生するために重要な役割を果たす、脳の楔前部という部位に蓄積されやすいことまで分かってきました」
本書で圧巻なのが、製薬会社による創薬レースだ。今年6月までに、エーザイが米バイオジェンと共同開発し米食品医薬品局(FDA)に申請していたアルツハイマー治療薬「アデュカヌマブ」の承認可否判断が下される予定である。アミロイドβを標的とする治療薬で、承認されればアルツハイマーの進行そのものに介入する初の治療薬となる。実はこの「アデュカヌマブ」、一度は開発中止に追い込まれていたという。
「2019年9月、エーザイが開発していたアミロイドβを作らせない働きをする治療薬『エレンベセスタット』の第3相臨床試験の中止が発表されました。臨床試験の最終段階の試験でしたが、独立安全性データモニタリング委員会により、被験者に対する利益が不利益を上回ることはないと判断されてしまったのです。まるで、100キロマラソンのゴール直前で大会スタッフに“あなたは失格です”と告げられたようなものです」
同じ年、効果が十分でないとして「アデュカヌマブ」の第3相臨床試験も中止を余儀なくされてしまう。ところが、臨床試験のうち投薬の方法や分量を変えて後からスタートした試験の結果で、アミロイドβの減少が見られたのだ。本書では「アデュカヌマブ」敗者復活劇の舞台裏を、さまざまなデータと共に解説している。
「創薬に関しては、アミロイドβをターゲットとすることが正しいのかはっきりしない状態も続いていました。しかし現在では、徐々に形態を変えて塊を作るアミロイドβのどの段階を狙えばいいのかまで明らかになってきた。これまで脱落していった治療薬の失敗も無駄ではなかったわけです」
本書では他にも、「アデュカヌマブ」の後を追う治療薬や薬剤治療の盲点を突く超音波治療、PCで簡単に受けられる検査の進化、そして認知症の発症に関わる生活習慣の最新研究についても解説している。
「コロナ禍で運動不足や肥満が増えることが、認知症の発症に何らかの影響を与える可能性も考えられます。今こそ多くの人が認知症の知識を持つときです」
(新潮社 792円)
▽みどり・しんや 1976年大阪府生まれ。科学ライター。出版社勤務を経てフリーランスとなり、週刊誌や月刊誌にサイエンス記事を執筆。著書に「消えた伝説のサル ベンツ」、共著に「山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた」「ウイルス大感染時代」などがある。