「1945年のクリスマス」ベアテ・シロタ・ゴードン著 平岡磨紀子 構成・文/柏書房
日本国憲法のルーツのひとつはウクライナにある。男女同権を先駆的に明記した憲法の草案作成に尽力したベアテ・シロタ・ゴードンの両親がウクライナ生まれのユダヤ人だったからである。
特に「リストの再来」といわれたほどのピアニストだった父レオはロシア革命を逃れてウィーンに渡り、ベアテはそこで生まれた。その父が日本を気に入り、ベアテは5歳から10年間暮らした日本で、無権利状態に置かれた女性の悲惨さをつぶさに見た。
これはそのベアテの自伝だが、自らも「タイム」誌で補助的な仕事しかさせられなかった体験から、こう語っている。
「男たちが作り上げた構図の中では、女性や子どもはいとも簡単に弾き飛ばされてしまう。もうすぐ終わると言われながらいっこうに終結しないこの戦争だって、男たちが始めたものではないか。自由平等の国で、私は女性の非力さを知った」
私は「月刊社会民主」の5月号に「おっさん壊憲の標的は女性」と書いたが、改憲ならぬ壊憲をめざすオッサンたちは、ベアテの関与を持ち出すと、また、押しつけと騒ぐのだろう。それを封じるようにベアテは2000年に衆参両院議員による憲法調査会に招かれて、こう述べている。
「『日本国憲法』は、米国の憲法よりずっと優れています。自分の持ち物より、もっといいものをプレゼントする時、それを『押しつけ』と言うでしょうか」
ベアテたちユダヤ人にとっては「ウィーンはナチスに汚染された町」だった。それもあって「自分の故郷は日本なのだ」としみじみ感じていたというベアテの痛切な次の指摘も耳に痛い。
「日本人というのは、本質的に封建民族だと私は思う。権力者の命令ならば、たとえ気が進まなくとも実行する。戦争の末期に、特攻隊の志願者を募った時、そのほとんどの若者は死にたくなかったのが本音だったと思う。でも、一歩前に出る勇気よりも、一歩前に出ない勇気の方が日本では難しいのだ。また、日本の道徳は、犠牲者的精神を発揮する人物を、必要以上に美化する。その中にヒロイズムを感じる人も、他の民族よりも多いように思う。日本人に人権という概念を話しても通じない。わがままとか、個人主義とかいう悪意のあることばに置き換えられてしまうからだ」
ウクライナに連帯する道は護憲である。
★★★(選者・佐高信)