花房観音(作家)
12月×日 今年の5月に繁華街で倒れ緊急搬送されしばらく入院していた。不調を加齢と更年期のせいにしていたら、実は心臓が悪くなっていて「心不全」と診断された。意識が遠のいて「死」が見えた。結局、助かり回復して、今は投薬治療をしながらなんとなく暮らしてはいる。心不全は再発率が高く、5年後の生存率が50%だと知った。
死ぬのは嫌だが、死ぬ準備はしておかないとな、と読んだのが、門賀美央子著「死に方がわからない」(双葉社 1815円)だ。門賀さんは51歳の私と同じ年、独身子ども無し一人っ子で、親が亡くなったら本当に「ひとり」の境遇になる。そんな自分が死んだらどうなるのかというのを考えて、行政の制度やら支援団体やら具体的なことを調べて現実的に「死に方」を模索していく本だ。
私は結婚しているが子どもはいないから他人事ではない。妹や弟にはなるべく迷惑や負担をかけず死にたい。独身だらけ、少子化の今の時代、すべての人にすすめたい本だ。
12月×日 死の恐怖を一度味わったからこそ、読むのに勇気がいったけれど、やっとページを開いた。山本文緒著「無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記」(新潮社 1650円)は、がんで亡くなった作家の山本文緒さんの、余命告知を受けてから夫とふたりで過ごす日々がつづられている。山本さんも、私と同じくまだ50代だ。それでも死は容赦がない。もし自分がこのように「死」が決定的になったら、どうするだろうかと考えずにはいられなかった。
12月×日 「死」にいたるのは、身体の病だけではない。周りに、心を病んで亡くなった人は何人かいるし、私だとて自死は考えたことがある。
真魚八重子著「心の壊し方日記」(左右社 1980円)は、映画評論家の真魚さんが、家族の死や病気、自身のSNSでの不用意な発言による炎上からの誹謗中傷の果てに、自殺未遂をし精神病院に入院する壮絶な苦しみの顛末だ。私たちの日常に「死」はいろんな形で口を開いて待ち受けているんだと思い知らされた。