宗教の魔力
「統一教会」櫻井義秀著
入学、入社シーズンが一段落。しかし宗教の誘いで狂信の道に迷いこむ例が後を絶たない。
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「統一教会」櫻井義秀著
岸田政権がいつのまにかうやむやにしつつあるが、統一教会問題は保守政界の深部にまで浸透した宿痾のようなもの。その大本の実態を明らかにしたのが本書。著者は北海道大学教授の宗教社会学者だ。
統一教会の教祖・文鮮明は1920年、平安北道(現・北朝鮮)の裕福な農家に生まれたが、一族に災難が相次いだことから両親がキリスト教に帰依。文鮮明自身も熱心な信者となったが、ローマ帝国の支配に苦しむユダヤと、日本に植民地化された朝鮮を二重写しにする複雑な感情があったらしい。日本留学で日本語を不自由なく話せたため日本人信者には植民地支配について徹底した懺悔を迫り、圧倒したという。
著者はわかりやすいエピソードを多数交えながら、激動の戦後史のなかで統一教会が勢力を拡大していくさまを丁寧に描く。戦後まもなく、ソウルから宣教のために平壌に向かった文は逮捕され、収容所に投獄された体験は文を強烈な反共主義者にした。
反共主義とナショナリズムと善悪二元論の入り交じった教義を含め、異形の宗教組織としての統一教会の全貌を余すところなく知ることができる。
(中央公論新社 1056円)
「宗教を『信じる』とはどういうことか」石川明人著
「宗教を『信じる』とはどういうことか」石川明人著
現代の日本文化の特徴は、なにも宗教を信じていないという人間が6割以上を占める一方、冠婚葬祭などは宗教色を好み、新年の神社仏閣詣でも欠かさないことが多いという矛盾を平気で演じていることだ。そういう現実をふまえ、著者は冒頭で「信じる」とはどういうことなのか、と問いかける。
新約聖書はキリストの教えを信じる人たちのためのものだが、そもそもキリストは「信じる」ことを求めていたのか。宗教を信じることは非科学的な態度なのか。さまざまな問いをたたみかける本書は「信じる」ことについての哲学的な境地を目指しているかのようだ。
著者は宗教学と戦争論を専門とする桃山学院大教授。いまどきの大学生たちへの導きとなることも著者の意図のうちに含まれたところだろう。
(筑摩書房 968円)
「亜宗教」中村圭志著
「亜宗教」中村圭志著
亜宗教とは聞き慣れない言葉だが、これは著者の造語。「近現代に生まれた非科学的で宗教めいた信念や言説」を指す便宜的な用法という。副題の「オカルト、スピリチュアル、疑似科学から陰謀論まで」がわかりやすいだろう。
亜宗教は「科学的」な根拠があると主張する点で既存の宗教と異なるが、信仰の激しさは共通している。
著者はシャーロック・ホームズの生みの親コナン・ドイルや仏教学者・井上円了ら古今東西の知識人が心霊現象や妖怪、もののけなどの解明に熱心に取り組んだ例を紹介しながら、UFOやヒッピーとニューエイジまで続くオカルト的な世界への没入を跡付けていく。
ニューエイジの信奉者たちは覚醒を求めるが、それはつねに回心を求めるキリスト教宣教師の伝統を受け継ぐものという。キリスト教の「覚醒」は終末論と神の審判という不安に包まれたイメージもある。
そこが今日のQアノンなど陰謀論の底知れない暗さにも通じているようだ。
(集英社インターナショナル 1056円)