「鼓動」葉真中顕氏
「鼓動」葉真中顕氏
京王線聖蹟桜ケ丘駅の住宅地にある児童公園で、ホームレスの老女とみられる遺体が発見される。被疑者の草鹿秀郎(48)は容疑を認め、さらに75歳の父親も殺害したと自供。「ホームレスは目障り」「恨んでいる父親の介護などしたくない」と、身勝手な犯行動機を語った草鹿は、無職で独身、恋愛経験もないひきこもり。いわば、“無敵の人”だった。
「長く引きこもって中年になってしまった子どもを、老齢の親が支える“8050問題”が、数年前から社会問題になっています。まず、この問題に小説で挑戦しようと決めたんですが、奇麗事で片付けたくなくて、1年くらいは筆が進みませんでした。しかし、当事者であるひきこもりの方々が自分と同じ団塊ジュニア世代であることに気付き、物語が動き始めたんです。犯人のイメージは、作家になれなかった“もしもの世界”のもう一人の自分です」
本書は、女性刑事・奥貫綾乃が事件の真相と犯人の人生に迫っていく社会派ミステリーシリーズの第3作。「犯人の人生に焦点を当てた」と著者自身も言うように、今作単体でも問題なく味わえる。
犯人視点で描く「昭和・平成・令和」の3時代にわたる半生と、奥貫による捜査が交互に描かれ、物語は展開してゆく。草鹿は、中学時代にイジメに遭ったものの、高校・大学では自分の居場所を見つける。しかし、大学4年の就職活動では厳しい現実が待ち受けていた。
「団塊ジュニアは就職氷河期が直撃した世代。それでも運よく就職できた草鹿ですが、ブラック企業で非人間的な扱いを受け、次の職場では非正規で不安定な立場になり、やがて無職になってしまいます。結果的にひきこもりへと導くこととなるこうした事柄の背景に潜むのは、ネオリベラリズムのイデオロギー。ひきこもりは、個人でどうにかできる範疇をはるかに超えた出来事なんです」
草鹿は、決して繊細過ぎる人ではなく“普通の人”。彼の人生に共感する読者も多いのではないだろうか。
草鹿は最後に何を語るのか
今作にはほかにも、ジェンダー問題やネグレクトなど、さまざまな社会問題が取り上げられている。これらの問題は「ひきこもりとは切っても切れない」と著者は言う。
「現代のあらゆる社会問題の根底にあるのは“承認”を巡る問題だと思っています。人間は、社会的な生き物だから他者に求められることに生きる意味を感じるんですが、これがやっかい。承認不足を無理やり解消しようとすると、SNSで他人を攻撃するネット右翼になってしまいますし、逆に他者から拒絶されることを恐れすぎると、ひきこもりになってしまいます。貧富の格差は再分配で解消できますが、承認格差はそうはいかない。ひきこもりの増加は現代社会に対するアラートではないでしょうか」
承認とどう向き合うべきか。草鹿は最後に何を語るのか。そして、「このタイトルに行きついて手応えを感じた」と著者が振り返る、“鼓動”に込められた意味まで、ラストシーンにすべてが凝縮される。
「入り口は8050問題ですが、多くの人に自分事として読んでもらえるように書きました。十分に豊かになったこの時代に、生きる意味を見いだすのは誰にとっても難しいことですからね」 (光文社 1870円)
▽葉真中顕(はまなか・あき)1976年、東京都生まれ。2013年「ロスト・ケア」で日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞しデビュー。「絶叫」は吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞の候補、「コクーン」は吉川英治文学新人賞の候補、「Blue」は山田風太郎賞候補となる。19年「凍てつく太陽」で大藪春彦賞、日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)受賞。