長年ライバルのビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズ<後編>
サム古川氏は1986年にマイクロソフトに入社し、ウィンドウズ攻勢の日本における指揮を執りながらビル・ゲイツを真近で見ていたがとても細かかったという。例えばコピー用紙1枚のコストにも目を光らせていて「こんなにコピー用紙が高いのなら、私がその納入業者に日本まで直接交渉しに行く」とのたまっていたという。ゲイツは95年、ついにエコノミー移動からプライベートジェットに変えたが、機中でハンバーガーを食べ、手に付いたケチャップを真っ白な皮のシートで拭いていた。また来日した際、なかなかゲートから出てこないので、調べてみるとパスポートを忘れてきたという珍事件も。古川氏によるとある種の天才的変人でもあった。小さな事にも妥協しないゲイツだが、古川氏が退職するときにはこれ以上ない豪華なパーティーを“自腹で”開いてくれたという。
一方のジョブズは、強引さゆえにアップルを追われ、97年に復活したが、その時に驚くべき手を打つ。ボストンの巨大モニターに突然マイクロソフトのビル・ゲイツが現れ、技術提携とマイクロソフト社からアップルへの巨額投資が発表された。観衆はもとより、アップル関係者も度肝を抜かれた。それはあたかも友情に見えたが「策士同士の計算づくの発表」だった。2人の“握手と喧嘩”はその後も続く。