中山ラビさんに先立たれてしまった いつものキャミソール姿でライブを…
ちなみにキティは、ポリドールのプロデューサーだった多賀英典さんが創業。映画、アニメ、音楽事業を手掛けて井上陽水、小椋佳、RCサクセション、安全地帯らが所属していた。
完全に同時代というわけではないが、浅川マキ(10年に67歳で死去)、森田童子(18年に66歳で死去)、山崎ハコ(57年生まれ、64歳)といった女性シンガーたちとラビさんは、創成期のロフトを支えてくれた。
西荻窪、荻窪ロフト時代は10人ほどの観客の前で歌うことも少なくなかったが、メッセージフォークの中心的な歌い手としての存在感は、目を見張るものがあった。
しかし――。
時代は刻々と移り変わり、メッセージフォークは勢いをどんどん失っていき、70年代後半になるとロックブームを目の当たりにしたライブハウス業界は、どうしてもロック主体のブッキングにシフトしていった。
彼女とも、長いブランクが生じてしまった。
ラビさんは、70年代後半から東京・国分寺市で昼は喫茶店、夜は酒場の「ほんやら洞」のオーナーとして店を切り盛りしていた。いつものキャミソール姿で新宿ネイキッドロフトでライブ(写真)をやってくれたこともあった。何とも寂しい夜になった。合掌。