<84>写真集を作るときに編集者やデザイナーに任せたりするんだ
右目が見えなくなった後、「結界」っていう展覧会もやったんだよ。ポラロイド(インスタントフィルム)の写真を切って、別のものどうしをつなぎ合わせてね(荒木は2013年10月に右眼網膜中心動脈閉塞症により右目の視力を失う。作品500点以上による個展「結界」は2014年にアートスペースAMで開催)。
いつだったかな、作家の深沢七郎さんに言われたことがあるんだ。「荒木さんは仏教だよね」って(笑)。ま、名前が経惟で、経帷子に似てるとか、子供の頃の遊び場が吉原遊女の投げ込み寺として有名な浄閑寺だったとか、そういうことを評論するやつもいたけどね。そういうのもどこか関係あるのかもしれないけど、その頃、オレは写真の神様「写神」じゃなくて仏のほう、「写仏」、フォトブッダなんて言ってたね(笑)。
カッターで2枚に切った写真が出合う。写真と写真を性交させたわけだよ(笑)。で、その2枚がね、それぞれ例えば、あの世とこの世だとかってなるわけ。オレはそこの結界を綱渡りしてるっつうか、そんな感じ。で、おっとっとって、あっち側に落っこちそうになったりすると、写真を撮って安定したり、死神が来そうになると、向こうへ行けってシャッターを押したり、そんな気分だったね。結界ってのは、聖と俗とかね、そういういろんなあっちとこっち。
他者の解釈で自分の作品が広がる
オレは写真集を作るときに、自分でやるときもあるけど、編集者やデザイナーに任せたりするんだ。他者が入ったほうが面白くなるってこともわかってるからね。全部を自分でしないようにしてるんだ。オレが撮ったものに関して、全部自分でやろうとすると、変われないからね。
だけど、自分の記憶っつうか記録を切っちゃうとかさ、そういうような破壊とか、再生するというようなことは、やっぱり他人にはできない。そのあたりが他者の手を借りるのと、自分でやるのと、それぞれの面白さだね。
パリコレでもさ、デザイナーがオレのポラロイドを荒木オマージュだとか言って、素材にして発表してる、ファッションでね(オランピア ル タンの2016年春夏パリコレクション)。そういうのもいいのよ。そういう広がりも面白いよね。他者の解釈とか表現ってので、また自分の作品が広がるんだ。だから、いろんなあっち側とこっち側があって、すべて結界なんだよ。
(構成=内田真由美)