【追悼】曙太郎(中)師匠との確執、年寄株への高いハードル、知名度を利用した相撲協会の思惑
組織に残る選択をした曙に、日本相撲協会は「興行本部長」の役職を与えた。功労者としてのまっとうな評価を与えたと見えなくもないが、実情は人気横綱だった曙の知名度を利用して、膨大な数のチケットをさばこうとしたことにあった。この処遇に対し、かねて協会と微妙な距離感を持っていた彼が、どう感じたか想像するに余りある。とはいえ、1億円という決して安くない功労金を渡していることを思えば、「引退後も売り上げに協力してほしい」という協会の意図も理解できなくもない。
■「ボブ・サップと戦ってほしい」
この時期、曙の姿は各所で目撃されている。筆者も2度ほど見かけたことがあった。一度は赤坂の一ツ木通りを闊歩しているところ。もう一度はラジオのニッポン放送である。当時、台場のフジテレビの社屋と共有していたニッポン放送の番組のゲストに招かれたのだ。いずれも、スーツ姿で窮屈そうに映ったが、新生活を満喫しているようにも見えた。「両膝の回復の見込みがない」という理由で、現役を退いた曙だったが、次第に回復の兆しが見えたことで明るさを取り戻したのはあったろう。現役時代から治癒力の高さは特筆されてもいたからだ。