【追悼】曙太郎(中)師匠との確執、年寄株への高いハードル、知名度を利用した相撲協会の思惑
それでも、親方との不仲までは回復しなかった。同性の関係ほど一度こじれると厄介なのは世の常である。ただし「実際はそこまで深刻ではなかった」という意見も聞かれた。
「大体、師匠と弟子の関係って、そんなにベタベタしていない。基本はそれぞれが個人事業主だから割合ドライなもの」と筆者に語ったのは、かつてテレビのスポーツ部に属していた人物である。角界の事情に明るい彼にとって「高見山と曙の師弟の緊張関係なんか、それほど珍しくない」ということになる。おそらく、この見方は間違っていないのだろう。師弟関係など外部の我々が想像するより、希薄なものに違いない。
そんな複雑な状況下にあった2003年の晩秋、事態は急旋回する。K-1プロデューサーだった谷川貞治が接触してきたのである。
福岡まで飛んだ谷川は、曙に一枚の契約書を渡すとこう訴えた。
「大晦日にボブ・サップと戦ってほしいんです」(つづく)