豊臣家を滅ぼしたとされる「梅毒」豊臣寄り武将が次々と…
その結果、力を失った豊臣家に代わって家康は天下を取ることを決意したとも言われ、秀吉が亡くなって17年後の1615年に大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼしてしまうのです。もし、豊臣家に近い戦国武将の死因が梅毒であるのなら、豊臣家はある意味、梅毒という感染症により滅亡したと言えなくもないのです。
梅毒は、いまも代表的な性感染症のひとつに数えられています。太平洋戦争直後は22万人を超える患者が記録されましたが、その後、「ペニシリン」と呼ばれる薬が登場して激減。1997年には患者数が500人近くまで減りました。
ところが2011年以降、若い女性を中心に増えています。その原因は訪日外国人が急増したことや、これまでなら出会うことのない人との出会いを可能にするマッチングアプリが登場したためともいわれていますが、それを裏付けるデータはありません。
個人的にはコンドームをつけなくなったからだと考えています。エイズが話題になったときは、コンドームを装着することは性交渉の常識となっていましたが、エイズの話題が薄れるにつれてその常識が揺らいでいるように感じています。