来年へ向けてオミクロン株に対する備えは大丈夫なのか
令和3年、私が楽しかったことは、この12月で2歳になったたったひとりの孫(男の子)に動画で会えること、そしてメジャーリーグで二刀流を成功させた大谷翔平の活躍くらいだったように思います。
コロナ禍で、なかなか明るい気持ちになれない一年でした。GoToトラベルが中止となっても、新型コロナウイルスの感染は昨年暮れから1月には大きな波となり、たくさんの犠牲者が出ました。さらに4波、5波と大きくなり、まん延防止措置、緊急事態宣言が長く続きました。
PCR検査数はわずかしか増えず、総理は「国民の安心安全」という言葉を繰り返しました。多くの国民が中止を希望し、コロナ対策分科会の会長である尾身茂さんは総理の隣に立って「普通はやらない」と言ったオリンピック・パラリンピックが、ほぼ無観客で行われました。三波春夫の「東京五輪音頭」が国中に響き渡り、心躍ったあのオリンピックは1964年の10月でした。
今回は、夏の開催ということもあってか夜間の競技が多かった上、選手や大会関係者には申し訳ないのですが、むしろ気になったのは毎日のPCR陽性者数や死者数の発表でした。