広島1位・黒原拓未の母は毎朝4時から弁当用に3合のご飯を炊いた
「家で野球の指導はほとんどしませんでした。たまに本人から尋ねられたらアドバイスするくらいですかね。私の方針を押し付けることになるのは避けたかったからです。のびのびやらせていたら、中3ごろから自主練を始めるようになって。家の近所を走りに行ったり、シャドーピッチングをしたり。私は試合の応援には行きますが、見守るだけでした」
千晶さんは朝4時台から息子たちの弁当を用意した。
■「お米さえあれば体をつくれるやろ」
「拓未は(給食がなかった海南中の)3年ぐらいから『お米さえあれば体をつくれるやろ』と言うので、毎日3合の白米を持たせました。お米が大好きな子で、お米だけでも食べられるんです。お弁当のオカズ作りは楽できました(笑い)」(千晶さん)
実家から通った智弁和歌山高では1年秋からベンチ入りし、3年夏は甲子園に出場。関西学院大へ進むと2年春からエースナンバーを背負い、4年春は全日本大学野球選手権の8強入りに貢献した。身長173センチと小柄ながら広島からドラフト1位で指名されるまでになった。