全国高校選手権初Vの岡山学芸館・高原良明監督を直撃! 雑草軍団「奇跡の軌跡」
遠征先の宿舎からたばこの臭いが…
──03年にコーチに就任した経緯は?
「J2に昇格する前のファジアーノ岡山でプレーしていた頃、当時の岡山学芸館の理事長から『セカンドキャリアの支援』ということで、教員のオファーを受けたんです。大学時代に教員資格を取得していたので、常勤講師として東海大の同級生だった吉谷剛コーチ(43)と一緒に赴任しました。昼間はコーチとして指導して、夕方から自分の練習という二足のわらじでした」
──当初のサッカー部は「まるで『スクール・ウォーズ』のようだった」との報道もあった。
「スクール・ウォーズは言い過ぎですが、当時はたばこを吸う子もいて、遠征先の宿舎や風呂場から臭いが漏れてきたり……。いまだにこんなチームがあるのかと衝撃を受けました。グラウンドは野球部が使うからと、十数人のサッカー部員は校外の空き地で球を蹴っていました。部室もないので、雨が降れば木の下で着替えるしかない。日没の早い冬は、車のライトをつけて練習をしました」
──当時はヤンチャな選手が多かった?
「あの子たちは教わっていなかっただけ。グラウンド整備の方法も知らないので、トンボのかけ方を教えると、『もっと教えて』という感じで、どんどん吸収していった。ただ知らなかっただけなんです」
──何から手をつけた?
「たばこをやめるのはもちろん、まずはあいさつの指導ですね。そして、学校生活をきっちりやろうと。例えば、サッカーがうまくても、課題を出さなかったら試合に出さないとか、練習をさせないとか、そこから徹底しました。『全部サッカーにつながっているんだぞ』と言い続けました」
──転機は?
「12年にサッカー部専用の人工芝グラウンドが完成して(20年に人工芝新調)、17年にグラウンドに隣接する場所に野球部と兼用の立派な選手寮を造ってもらった。寮の食事は『那須食品』という仕出屋さんが作ってくれるので、おいしいし、栄養面でもしっかり計算されたものが出るようになりました。今回の関東遠征でも、みかん、バナナ、イチゴといったフルーツを大量に差し入れてくれて、大変助かりました」
──携わって20年、監督に就任して苦節15年で全国制覇を果たした。
「優勝の瞬間、あの頃の先輩や涙を流してきた数多くのOBの子たちの顔が浮かんで涙が止まりませんでした」
(聞き手=増田和史/日刊ゲンダイ)
▽高原良明(たかはら・よしあき) 1979年8月6日、福岡県出身。東海大福岡高からDFとしてプレー。東海大3年時に総理大臣杯で優勝。2002年にファジアーノ岡山入り。現役を続けながら03年に岡山学芸館高コーチ就任。08年に現役を引退し、同校監督就任。12年に高校総体に初出場も3回戦で静岡学園に0-9で敗れた。