西武投手コーチだった八木沢荘六さんがロッテ監督に 常勝西武の緻密なデータに衝撃を受けた
1989年にドラフト4位で入団した最初の背番号は「0」だった。この年に引退した二松学舎大付高の先輩・坂巻明さんの「0」を受け継ぐことになり、感慨深いものがあった。1年目から出場機会をもらえたこともあって愛着があったが、チームが千葉へ移転して2年目の93年、「0なんて背番号じゃねえ!」と異を唱えたのが、後に監督も務めた山本功児打撃コーチだった。
「それなら6番をください」
その年に私をかわいがってくれた上川誠二さんが引退。「6」が空いたため、球団に了承された。かつて3度の三冠王に輝いた落合博満さんが背負っていた背番号でもあり、引退までつけられたのは光栄だった。
ちょうどその頃の話だ。
新球場元年の92年に西武の投手コーチがロッテの監督に就任した。八木沢荘六監督である。
■「おまえは初球をスイングして空振りかファウルでストライクになったら…」
森祇晶監督率いる西武はリーグ連覇中。ロッテは一方的にやられていたので「西武は自分(私)のことをどう見ていたんですか?」と聞いてみると、八木沢監督はこう答えた。