高嶋哲夫氏「監視社会は希望を運んできたか」
ディストピア小説って何だろう。コラムの依頼をもらった時に、まず思った。その時は、「首都感染」のようなものだろうと、勝手に理解した。じゃあ、「首都感染」は? 死をもたらすウイルスが蔓延して、住民を強制的に町に隔離する。
「ユートピア(理想郷)の正反対の社会」、これが、「ディストピア」のようだ。確かに「首都感染」に通じる社会だ。ウイルスが人間を支配する社会。ウイルスは人間に入り込み、生死を支配する。人は死の影に怯えながら生きていく。そういう日が突然訪れたら――。それが、現実になってしまった。
開いているのは、生きるために必要な商品を売る店。「外出自粛」「人との接触削減」「社会的距離」「在宅勤務」「マスクの着用」――要するに、家に籠もって一人でいなさい。
確かに、「首都感染」(講談社)で封鎖された東京は、ディストピアなのだろう。
中国の武漢市はいち早く封鎖された。ウイルスと共に。町への入り口には車止めが置かれ、警察官が立った。
東京と武漢、2つの都市に閉じ込められた人たちは、ウイルスに打ち勝つために、ひたすらに「ステイホーム」を実践、家に閉じ籠もらなければならない。それでも、人は死んでいった。ウイルスは人間たちを見張り、隙があれば体内に忍び込み、食い荒らした。
「首都感染」で、封鎖された東京で、人間を救ったのは、人が作り出した抗インフルエンザ薬とワクチンだ。そのクスリは「希望」を運んできた。
武漢市はどうだっただろう。彼らを救ったのはクスリではなく、ウイルスとの接触を阻止する監視カメラ、スマホによる監視社会だった。
徹底的な人の管理だ。町中に設置された監視カメラとスマホによる位置情報で、人の移動を制限した。人との接触を避けることで、感染を沈静化させたのだ。
武漢市の人たちは、ウイルスの世界を生き抜き、監視社会に組み込まれていったのだろうか。
監視社会は「希望」を運んできたのか。
2つの都市で、閉じ込められた人たちを支えたのは、外部の感染を免れた人たちだ。彼らこそ、「希望」だったのか。
▽たかしま・てつお 1949年、岡山県生まれ。慶応大大学院修士課程修了。日本原子力研究所研究員を経て、カリフォルニア大学に留学。79年、日本原子力学会技術賞受賞。著書に「M8」「TSUNAMI 津波」「首都感染」「富士山噴火」など多数。近著に世界の難民問題を描いた「紅い砂」。
「脳人間の告白」高嶋哲夫著
日本の脳研究の最先端を走る本郷秀雄は、婚約者の秋子を乗せて帰る途中、事故に遭い瀕死(ひんし)の重傷を負う。勤務するK大病院に運び込まれ手術を受けた本郷は10日後、暗闇の中で覚醒する。
目を見開いても完璧な闇で、体は空中に浮いているようで頼りない。
やがて親友の長谷川と谷崎の会話が聞こえてきた。2人は自分の葬式の帰りであること、事故で体の損傷が激しく、谷崎らは救命を諦めたが、ダメージのなかった脳を取り出し、本郷が研究をしていた脳の生命維持装置につないだのだ。
絶望の中、本郷は人々の会話が振動によって脳に伝わってくることに気づく。水槽の前で語られる仲間たちの本音、事故の模様、そして秋子のこと……。そこへ本郷の事故に疑問を持った刑事が訪ねてくる。
思考はできるが、意思を伝える手段を持たない肉塊となった本郷。本郷の絶望や闇が、「死」とは何かと問いかけてくる。
(河出書房新社 720円+税)