「ロシアのなかのソ連」馬場朝子氏
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻はいまだ終わりが見えない。多くの日本人は、近くて遠いロシアに対し、理解不能の恐ろしい大国というイメージを持っていることだろう。
「2022年のはじめ、この戦争を予想できた人はほとんどいなかったはずです。前年からその兆候は伝えられていましたが、多くの専門家たちも“まさか”と思っていました。しかし、かつてあの巨大なソ連が崩壊するという予想もしなかったことが実際に起きた。それがソ連でありロシアという国なのです」
本書ではテレビディレクターとして、50年にわたりロシアと関わり続けた著者ならではの視点から、ロシアの過去の栄光と挫折を分かりやすく解説。大国の真の姿と、今回の軍事侵攻の深層に迫っている。
「ソ連の社会主義社会では“平等”がもっとも重要な社会的価値であり、私が留学していた1970年代のモスクワ大学では、教授も清掃員も給料はたいして変わりませんでした。そんな平等に慣れた人たちが、市場経済の導入で初めて格差にさらされた。現在、ロシアでの収入の地域格差は60倍にも及びます。ちなみに日本は2倍ほどです」
ロシアの大国思想についても言及する本書。モンゴルのチンギスハンやナチス・ドイツなど周辺の国々から攻め込まれ、戦って勝利してきた偉大な祖国という概念だ。
「現在、ロシアの50歳以上の人々はソ連で教育を受けて成長した生粋の“ソ連人”です。アメリカと世界を二分し、数十カ国の社会主義国を束ねた栄光の記憶を持っている。プーチン大統領もまたそのひとりです。そして、ウクライナ侵攻についてプーチンを支持する多くは、このような層の人々です」
ロシアの“力への信奉”は国だけでなく個人にも向けられ、特に男性はマッチョが良しとされるという。
プーチン大統領はよくムキムキボディーをさらしているが、その背景が分かると納得だ。
本書では、今年2月21日のプーチン大統領の演説について解説しながら、ウクライナ侵攻を分析している。
「“ソ連崩壊後、ロシアは欧米に門戸を開きその価値観を受け入れたのに、あなたたちはロシアを敵国扱いのままである”という恨みがプーチンの演説には際立ち、ロシアにはロシアの倫理があることも分かります。しかし、結局は過去の、軍事に頼る国家へと逆戻りして暴挙に出た。プーチンがもっと若ければ、侵攻は起こらなかったかもしれません」
“朝起きていつものようにネットを開くと戦争が始まったというニュースが飛び込んできた”という著者のウクライナの友人の声など、一般市民の生々しい声も紹介する本書。
日本にとっても戦争は他人事とはもはや言えない時代である。物事を表面だけで捉えず、その深層を知る習慣をつけるためにも、本書は今、読むべき本である。 (現代書館 1980円)
▽馬場朝子(ばば・ともこ) 1951年、熊本県生まれ。1970年からモスクワ国立大学文学部に6年間留学。帰国後NHK入局。「スターリン 家族の悲劇」「ロシア 兵士たちの日露戦争」など40本以上の番組を制作。著書に「タルコフスキー 若き日、亡命、そして死」などがある。