キャンセルカルチャー
「キャンセルカルチャー」前嶋和弘著
米国で話題の「キャンセルカルチャー」。人種差別などの悪弊を正すため歴史の書き換えなどを求める左派の動きを揶揄した語だ。
警察による黒人差別への抵抗として起こったBLM(黒人の命は大切だ)運動。これを「暴徒」と決めつけ、差別撤廃を歴史観の矯正にも求める動きを、偉大な米国史を「キャンセル」(抹消)するものと非難したのがトランプ前大統領。この語はこれで一気に広がったという。
アメリカ政治が専門の著者は上智大学教授。アメリカ史をさかのぼって、キャンセルカルチャーが人種差別と白人優位の社会構造に対する抵抗に始まったことを明らかにする。これを学問的に裏付けたのが「批判的人種理論」(CRT)。それによるとリンカーンの奴隷解放宣言は「法的には大きな意味がなかった」と主張する。当時は南北戦争のさなかで南部の奴隷が解放されることはなく、また最高裁をはじめ権力の中枢は白人で占められていたからだ。
あくまで学界などでだけ知られていたこの理論が保守派の猛攻撃の的になったのは、右派のフォックスニュースで番組を持つ論客が左派の横暴の元凶として取り上げたため。またこの理論は大学だけでなく、中学や高校などの教員研修などでも引用されることが増え、これに保守派が反発したことが騒ぎを大きくしたという。込み入った状況がわかりやすく解説されている。 (小学館 1760円)
「炎上社会を考える」伊藤昌亮著
「炎上」は一般的にネットの投稿などでの不用意な発言が問題視され、スキャンダラスな騒動に発展することだ。
メディア論を専門とする著者はその高まりを小泉政権時代に起きたイラク日本人人質事件の際、閣僚だった小池百合子らが唱えた「自己責任」論がきっかけだったと見る。炎上現象はネットの産物と見られがちだが、著者は新自由主義の浸透が背景にあると見るわけだ。
米国発のキャンセルカルチャーは、日本では東京五輪開会式の作曲家が過去のイジメを告白していたことへのバッシングとなって表れた。著者はそこに働いた論理を検証し、「超法規的なリンチ」の危険性をはらむキャンセルカルチャーは無制限に肯定されるべきものではなく、「最後の手段」であるべきだと説く。というのも「キャンセル」は本来、ほかに手段を持たないマイノリティーの選択だからだ。
しかし、現状ではそれがいつのまにか「マジョリティーの自己承認のツール」になってしまっている側面がある。
日米の違いをふまえて傾聴すべき意見だろう。 (中央公論新社 924円)
「ポリティカル・コレクトネス からどこへ」清水晶子、ハン・トンヒョン、飯野由里子著
右派が使う悪口の決まり言葉が「キャンセルカルチャー」と並んで「ポリコレ」。「ポリティカル・コレクトネス」(政治的な正しさ)の略語だ。
本書は70年代生まれの女性研究者がこれをテーマにした座談会と書き下ろし論考の集成。
各自の専門が性的マイノリティー、障害者の権利、ヘイトスピーチとレイシズムと少しずつ違うぶん、薄い本のわりに多彩な論点が並ぶが、共通するのは反差別や平等・公平は「道徳ではなく社会の制度と構造の問題」とする点だろう。日本では「差別」が法制度の概念になってないのがその表れ。
また、SNSに常時接続の現代では、差別的な投稿を批判された側が「表現の自由」を盾に不当な攻撃を受けたかのように反応して不毛な議論が止まらなくなる状況もある。
伝統や歴史を何でも「キャンセル」しようという陰謀だ、とするキャンセルカルチャー批判を正すことの難しさが座談の中から見えてくる。 (有斐閣 1980円)