香山リカ(作家・精神科医)
11月×日 北海道の山あいにある診療所で働き始めて1年半以上がたった。医者としてからだが動くうちに医療過疎地で働いてみたい、というのがかねてからの夢だったのだ。仕事はハードだが楽しい。もう1つの夢は、「余暇は静かな環境でゆっくり読書を」であった。
ところが、現実社会がそうさせてくれない。とくに「北海道パレスチナ医療奉仕団」のメンバーとして現地に派遣される医師らを後方支援してきた私だが、ガザ地区への大規模な攻撃は大きな衝撃だった。「なぜ」という問いの答えを探してさまざまな本に手を出す。
イスラエル側への理解をと手にとった長谷川修一著「ユダヤ人は、いつユダヤ人になったのか」(NHK出版 1100円)では、そのアイデンティティーの源を2600年前のユダヤ人強制移住「バビロン捕囚」に求めていた。そこから一神教ユダヤ教が生まれユダヤ人国家の建設の悲願を追い続けるという長大な歴史物語は興味深かったが、それだけで今回の攻撃を理解することはできない。
11月×日 次は、反ユダヤ的作家とも言われるセリーヌの草稿「戦争」(幻戯書房 2750円)が翻訳されたので読んでみる。野戦病院に担ぎ込まれたフランス兵を待つのは、人格が破綻したような医者や看護師、死にかけの兵士らだ。極限状態でも性や欲望に忠実な登場人物たちの生々しい描写に吐き気がするが、そこに一抹の“人間らしさ”も感じる。
やはり世界を最後に覆うのは「闇」なのか。気鋭の文章家・木澤佐登志の「闇の精神史」(早川書房 1122円)にも、喪われたルーツを求め、フィクションの中に新たな故郷を作ろうとする文化的運動の話が登場する。それを「火星への脱出」を真剣に画策するイーロン・マスクと連結させる手並みの鮮やかさは木澤ならではだが、宇宙や虚構にではなく地上に創出した故郷を死守、拡大しようとするのがイスラエルと理解すればよいのか。
世界はわからないことだらけ、と頭を抱える私に、セリーヌの最後の言葉が突き刺さる。「それにしたって人生は途方もない。いたるところで道に迷うばかりだ」