いつか訪れる最期のときを考える本特集
「いのちのそばで」徳永進著
誰もが等しく死を迎えるが、最期のときをどう過ごし、どう生き抜くかにはさまざまな道がある。日本人は確固たる死生観を持たないと言われるが、自分の、そして家族の最期について考え、話し合っておくことは重要だ。
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「いのちのそばで」徳永進著
鳥取市内にあるホスピスの院長を務める著者。本書では終末期を迎えた患者と家族を支えてきた診療所の、23年の日々がつづられている。
家に帰りたいと言う入院中の女性は、70歳の末期がん患者。夫は「3時間だけ」と提案するが、妻は「帰ったことにならんわ!」とご立腹。「いつもこれです。叱られっぱなし」と夫は頭をかく。3年に及ぶ闘病で2人とも覚悟はできているが、孫息子の高校合格と学生服姿だけは一緒に見届けたいという。著者は願いをかなえるため、苦痛を和らげる処置に全力を尽くす。
乳がんが進行した83歳の女性は、自分の葬式の準備中。夫の葬儀では大金がかかったため質素な家族葬を望んでいたが、ピンク色のお棺に一目ぼれ。あれなら入ってもいいと新たな希望を持つ。
死というつらく悲しい現場ではあるが、必ずどこかに人間の持つ温かみがあるという著者。死生観を考え直すきっかけになりそうなエッセーだ。
(朝日新聞出版 1870円)
「家族のレシピ」NBS「看取りを支える訪問診療」取材班著
「家族のレシピ」NBS「看取りを支える訪問診療」取材班著
寡黙で優しい父、調理師の母、専門学校生の娘と高校受験を控えた息子。ごく普通の家族を突然襲ったのが、母の余命宣告だった。
本書は、ニュース番組「NBSみんなの信州」で放送され、YouTube再生回数も680万回を超えたドキュメンタリーの書籍化である。
めったに風邪もひかなかった母が胆のうがんのステージ4と診断されたのは、53歳のとき。すでに肝臓にも転移しており、手術は不可能だった。やがて余命1カ月と伝えられた家族は、在宅医療を選択する。時はコロナ禍で、入院すれば面会はできなくなることが分かっていたためだ。4人での濃密な最期の日々の中で、母は家族が好きだった献立のレシピをノートに記す。「塩こしょう パッパッパ…6回ぐらい」など、食卓を支えてきた母らしい表現。今、残された3人を支えているのが、一家の中心にあった母のレシピだという。
家族の看取りを通じて、生きていくということについても考えさせられる。
(幻冬舎 1650円)
「妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした」小林孝延著
「妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした」小林孝延著
乳がんが進行し、抗がん剤による鬱を発症した妻。現実から逃避するように酒を飲み、子どもたちも自室に閉じこもり、家族は崩壊寸前だった。そんなときに迎えたのが福と名付けられた一匹の犬だった。保護犬シェルターでいつも隠れているからもらい手が見つからないという話を聞き、運命にも似た感情を抱いて家に連れて帰る。
やがて、福の世話を通じて子どもたちとも会話が増え、休日には全員で散歩に出かけるなど家族のあたたかな時間が戻ってくる。誰よりも喜んでいたのが妻であり、ついには福を連れて家族キャンプにも出かけたという。
もらい手がつかない犬を救うような気持ちだったが、救われたのは自分たちだったと著者。最期の自宅療養でも、福は妻のそばを片時も離れず、また妻も傍らの福をなでるたびに表情が和らいだという。
福が来てから妻が旅立つまでの2年間。圧倒的な密度で「生きる」ということを心に刻み付けた時間だったとつづられている。
(風鳴舎 1870円)
「母がゼロになるまで」リー・アンダーツ著
「母がゼロになるまで」リー・アンダーツ著
家族にはさまざまな形があるように、その最期もさまざま。著者の場合、母親が発達障害で子どものころからあらゆる困難を押し付けられてきた。本書は、そんな母が亡くなるまでの2年間の記録だ。
娘の近くにいたいからと、長年離れて暮らしていた母が近所に越してくる。昔から困ったところはあったが、母は母。うれしくなった著者は、しばらく自宅に住まわせ、新しいアパートの保証人も引き受ける。しかし、やがて母はしつこく金の無心をするようになる。
母のアパートに乗り込むと、そこはすでにゴミの山だった。中から掘り起こしたのは、大量の請求書や借用書で、中には1泊2万円という高級ホテルの1週間分の領収書もあった。年金が入っては使い、借金をしては散財する母。病院や弁護士に相談しても、根本的な解決にはならなかった。
やがて母は、アパートの一室で凍死という最期を迎え--。切っても切れない、壮絶な親子関係の最期に胸を打たれる。
(河出書房新社 1837円)