「成田の乱」牧久著
「成田の乱」牧久著
昭和53年5月20日、成田の新東京国際空港が滑走路1本だけで暫定開港した。翌朝、厳戒態勢の中、サンフランシスコ発の1番機、日航貨物便が着陸した。佐藤栄作内閣が成田市三里塚に新空港建設を決定してから12年が過ぎていた。
開港から1年半後、空港建設反対運動のリーダーだった戸村一作が悪性リンパ腫で死去する。享年70。その後、反対運動は求心力を失って衰退していくが、開港から半世紀近い時が流れた今も、空港周辺で農業を営み、根強い抵抗を続けている人たちがいる。成田空港は未完のままだ。
日本経済新聞社会部の記者として12年余、成田闘争を取材し続けた著者が、生々しい記憶、膨大なメモ、記事のスクラップをもとにまとめた現場目線の成田闘争ルポルタージュ。「成田闘争とは何だったのか」を問い直すことは、敬虔なクリスチャン・戸村一作が、なぜ血で血を洗う暴力闘争を率いたのかを問うことでもあった。
戸村は祖父の代から続くプロテスタントのクリスチャンで、三里塚で農機具販売店を営んでいた。農民たちが貧困と闘いながら開墾した農地を死守しようと立ち上がったとき、戸村は反対同盟の委員長として先頭に立った。取材記者を自宅に招き入れ、「暴力はダメだ」と語っていた戸村が、あるときから豹変する。機動隊との衝突で重傷を負い、意識が薄れていく中で、戸村は十字架を背負って刑場に引かれていくキリストの姿を見たという。
空港建設反対を自らの十字架として背負った戸村は、中核派を中心とする過激派の学生と積極的に手を結び、激しい実力闘争へ踏み出していった。「それは『空港反対闘争』というより、国家権力に立ち向かう『戦後最大の反乱』というほうが適切ではなかったか」と著者は書く。
「成田の乱」は、農業を破壊して高度経済成長に突き進んだ戦後日本に「ノー」を突きつける最後の闘いだったのかもしれない。
(日本経済新聞出版 2640円)