“日本を代表する女優”山本富士子 大映退社で出演不可能に
50年代から60年代の日本映画界で活躍した女優だった山本は、62年の結婚を機に仕事と家庭の両立に悩み、63年、大映専属からフリーに転身。結果、一切の映画に出演できなくなってしまった。「日本を代表する女優」といわれた山本だったが、映画出演の依頼はなくなり、舞台出演の機会まで閉ざされた。これが五社協定の威力だった。
■五社協定で映画界は衰退の一途
だが、公取委は五社協定の問題を認識していなかったわけではない。57年、独立映画株式会社が製作した「異母兄弟」に東映所属の俳優、南原伸二と東映との契約が切れた直後の女優、高千穂ひづるが無断で出演したことが問題となり、松竹が五社協定に基づいて自社チェーンでの上映を中止するという事件があった。
独立映画は五社協定と東映の妨害が独禁法に違反するとして公取委に申告。これを受け、63年、公取委は五社協定について独禁法に「違反する疑いがあった」と認定した。
しかし、実態は変わらず、五社協定は野放しにされた。五社協定によって映画界は映画会社間の俳優の交流が乏しくなり、企画力の低下を招き、衰退の一途をたどった。