分子標的薬の登場が慢性骨髄性白血病の治療を劇的に変えた
K君と私は同郷で、2人とも医学部に進学しました。黙っていてもお互い通じる仲で、彼はずる賢いところが全くない、実直で「誠」を貫く男でした。
K君は「医師になって病人を救う」という目的をしっかり持っていました(私は医学部に進む目的を「人間って何だろう? 何かが分かるかもしれない」と考えていました)。卒業後は、大学紛争などもあって、それぞれ離れた病院に勤務しました。
K君が慢性骨髄性白血病にかかったのは30歳の頃でした。当時の私たちは、患者がたとえ医師であっても、本人には、がんとか白血病とかは知らせない、「死を告げないことが最大の愛」だと信じていました。K君が白血病であることは医師の親しい仲間にはこっそりと伝わりましたが、彼自身は病名を知らないことになっていました。
病気の彼が旅行だといって上京した時は、とても元気そうに見えました。彼から「脾臓が腫れている」と言われたのですが、私は、あえて話をそらしたことを覚えています。当時の私は、フランス留学から帰られた上司の指導の下で、白血病患者の治療をしていました。患者本人には白血病とは言わず、家族にだけ真の病名を告げていました。しかも、私は日本ではまだ2、3カ所でしか試されていない骨髄移植にも加わっていました。