家族が「最期の瞬間」に立ち会うことが難しい場合も多い
■最近はいざとなってから蘇生術を行うことはほとんどない
まだ携帯電話がない時代のことですが、何日もずっと一緒に病室で寝泊まりしていた方が、病院の近くの食堂に行っていたわずかな時間に患者さんが息を引き取り、とても残念がっていらしたことを覚えています。入院していた私の父(当時96歳)は、ある日の夕方に嚥下性肺炎を起こし、翌朝に駆け付けた時はもう冷たくなっていました。
私の母(当時95歳)は食事が取れなくなり、入院中のある日、次第に血圧が下がって意識もなくなりました。その晩は私が隣に寝ましたが、翌日の夕方に「今晩は大丈夫だろう」と、一家でタクシーに乗って帰宅している最中に病院から連絡がありました。すぐに引き返しましたが、着いた時はすでに息を引き取っていました。
最近は、がんの末期で入院された場合、いざとなってから蘇生術を行うことはほとんどないという印象です。点滴は行っていても、強心剤や昇圧剤を使うような場合も少ないと思います。それでも、間に合った家族から「父は意識がなくなっていましたが、がんばって息をして、私が着くのを待っていてくれました」と言われたのを聞きました。