大事なのは子供や周囲の「幸せに生きてほしい」という気持ち
「とにかく、いろいろなことが面倒くさくなりましたね」
半年ほど前に軽度のアルツハイマー型認知症と診断された知人が言う。80歳。診断を受け入れ、症状の進行を抑える効果が認められているアリセプトを服用している。彼はこれまで長年にわたって自己啓発に関する著書を数多く世に出してきた。ある日「それでも何とかここまでやりました」と近々刊行予定の著書のゲラ(完成前の試し刷り)を見せてくれた。赤い字で加筆、修正がなされていた。少し読ませてもらった限りでは、ロジックにも文章表現にも、不可解な点は見られない。さらに、文筆業を生業にするだけあって、自分の現状に関しても、いたって冷静な判断をする。「認知症に関する本を読みました。症状として『意欲の低下』が見られるとのことでしたが、まさに私が感じていることです」と語り、こう締めくくった。
「これからも依頼があれば、死ぬまで現役を続けていきたいですね」
そのスタンスは見事である。実際、脳の「残存能力」は、かなりのものと推察した。
これは彼に限ったことではない。認知症を発症してもさまざまなスタイルで「現役」を続ける高齢者は多い。例えば人手不足が深刻な農家、地方の個人経営の商店などでは、立派な労働力となっている。若い頃に培った知識やスキルが十分に役立っているのである。また、都市部でも幼児や小学校低学年を対象とした「読み聞かせ」や英語のレッスン、地域イベントなど、さまざまなボランティア活動を行っている高齢者も多い。こうした活動は、本人はもちろんのこと、周囲の認知症に対する正しい理解があるからこそ成り立つ。すなわち、「もうできないことはあるが、まだできることがある」わけだ。「もうできない今」を嘆くのではなく「まだできる今」を愛でるという本人と周囲の共通認識である。本人にとっては、この「まだできる」は脳を使い続けることで認知症の進行を抑える効果もある。