ラフィネ 清水秀文社長(1)グループで全国約770カ所の店舗展開する業界の先駆者
大学時代にスイミングスクール運営で培ったビジネススキル
「自分の力だけで前に進めるのが楽しく、もっと泳げるようになりたくて水泳を習い始めました。当時は都内に数カ所しかスイミングクラブがなく、電車を乗り継いで通っていた。より速く、より長く泳げるようになるほど自分に自信がつくし、習っている子自体が少なかったから学校ではちょっとしたヒーローでした」
スイミングクラブには中学の途中まで通った。その後、受験を経て中野区の都立校に進学。迷わず水泳部に入部し、真っ黒に日焼けしながら中距離・長距離の自由形をメインに練習に取り組んだという。大会でも入賞するなどして好成績を残した清水氏が、宮城県にある体育系の仙台大学に進んだのは自然な流れだった。
「その時は大学卒業後の進路まで考えていませんでしたが、水泳が唯一の取りえだったのでここから道が開けるかなと思ったんです」
地方の大学を選んだのは親元を離れて生活してみたかったからだという。とはいえ、実家に負担をかけたくない。自立するために清水氏が着目したのがスイミングスクールの運営だった。
「当時、高校の先輩が東京で公営プールを借りて教室を開き、人気を集めていました。一方の仙台にはスイミングスクールがほとんどありません。しかも、オイルショックの影響で公営プールの開放日は土日のみと営業を縮小している。それならば使用されていない平日にプールを借りて教室を開こうと考えたのです」
清水氏は友人とともに水泳関連の事業を展開する企業や団体の賛同を取り付け、自治体に掛け合ってプールを借用。企業とコースを分け合うかたちで、小学生を対象としたスイミングスクールを開校した。
「東京の先輩のアドバイスをもとに練習内容やクラス分けといった教育システムを構築しました。集客は自分たちで募集広告をつくって一軒一軒ポスティングして配った。運がよかったのは近所に東京から転勤してきた家族が多い団地があったこと。スイミングスクールへの理解度が高く、すぐに生徒が集まりました」
手応えを感じた清水氏たちは新聞折り込みを活用して広く生徒を募集。その反響は大きく、評判もあいまって数百人もの生徒が集まり、大学の学費と生活費を十分に賄えるだけの収入が得られるようになった。 (つづく)
(ジャーナリスト・中川明紀)