23年W杯招致に照準 女子サッカー.WEリーグの狙いと課題
日本開催が決まれば、新型コロナウイルスからの復興W杯になる可能性もあるだろう。
筆者が初めて女子サッカーを取材したのは、専門誌サッカーダイジェストで働くようになった1981年9月、日本で初めて開催された女子サッカーの国際大会「ポートピア'81 国際女子サッカー」だった。これは神戸で開催された地方博覧会「神戸ポートアイランド博覧会」の開催を記念しての大会だった。
イタリア、イングランド、デンマークの3カ国を招待し、日本は神戸・中央球技場(現ノエビアスタジアム神戸)でイングランドと、東京・西が丘サッカー場(現味の素フィールド西が丘)でイタリアと対戦した。
結果はイングランドに0ー4、イタリアには0ー9というスコアで完敗した。特にイタリアにはビニョットというストライカーがおり、圧倒的なスピードで日本選手を圧倒。テクニックもあって「女クライフ」のニックネームはダテではないと感心させられた。
試合は「完敗」以前の内容で、日本女子サッカーの黎明期を支えた彼女たちには申し訳ないが、まさしく「大人と子供の違い」と言えた。