伊東、久保、鎌田が奮闘も…真っ向勝負仕掛ける采配に疑問
財政的にシュツットガルトは恵まれたクラブとはいえない。それなのに億単位の違約金を払ってまで、完全移籍させたいとフロントに思わせた。
鎌田の所属するフランクフルトにしても、決して金満クラブではない。
鳥栖から17年にフランクフルト入りした後、構想外となって18年8月にシントトロイデンにレンタル移籍することになった。そこで鎌田は腐らずに好パフォーマンスを見せ、1年後に復帰した後も安定した結果を残して20年9月、23年までの複数年契約を勝ち取った。
今の時期、新型コロナ禍で各クラブの台所事情がひっ迫する中、遠藤も鎌田も自らの努力と結果によってチームの金庫の扉を開けさせた。実に素晴らしいことである。
オランダでプレーしていた堂安が、ドイツ1部に昇格したビーレフェルトに移籍したという報道を目にし、84ー85年シーズンのブンデスリーガ1部に思いを馳せた。
筆者は70年代にドイツに渡り、ボルシアMGのバイスバイラー監督の下でコーチ修行をさせていただき、ドイツサッカー協会公認のS級ライセンスを取得した。帰国してから巣鴨の三菱養和会などでコーチの仕事をこなしているとビーレフェルトからオファーが届いた。