元東映・ヤクルト大杉勝男 200HR偉業達成前に引退「この1本を皆さまの夢の中で打たせていただければ…」
大杉勝男(元東映、ヤクルト野手)
1960年代のパ・リーグで「駒沢の暴れん坊」と呼ばれた個性豊かなチームが日本ハムの前身・東映フライヤーズ。張本勲、山本八郎、白仁天ら他球団から恐れられた武闘派が顔を並べる中、親分格の張本に「ケンカになったらアイツだけにはかなわない」と言わせた最強の暴れん坊が大杉勝男である。
大杉をめぐる武勇伝は数多い。極め付きは70年4月28日、西鉄(現西武)戦でのボレスとの乱闘だ。ボレスが仕掛けたラフなスライディングに激高した大杉がボレスを突き飛ばし、相手もパンチで応酬。それをよけた大杉が右ストレートを繰り出す。これが相手のあごにヒットし、ボレスは血を流してヒザから崩れ落ちた。一発KOだ。しかし、大杉は退場にならなかった。審判が「パンチのスピードが速すぎて見えなかった」と言ったからだ。
大杉はこの日、打撃好調で4打数4安打の大当たり。翌日のスポーツ紙には「あの一発があるから5打数5安打だろ」とのいかにも暴れん坊らしいコメントも掲載された。
たしかに大杉は豪快な性格だったが、半面、繊細で心優しい一面もあった。幼い頃に父と兄を亡くし、母親に女手一つで育てられたこともあって家族への思いは人一倍強かった。もし自分に何かあったら家族が困ると、飛行機を嫌がり球団に電車での移動を申し出たり、ヤクルト時代、日本シリーズに勝って日本一になった際には祝勝会にも出ず家族の待つ自宅に帰っていったほどだ。