広島1位・常広羽也斗の「未来設計図」は建築士の父が描いた…小4で自宅庭にブルペン
自宅も竜也さんが設計。野球の練習ができる空間もつくった。
「庭に(投本間の)18.44メートルを確保できる空間があったので、小学校4年生の時にブルペンをつくってあげました。それまでは家の外で壁当てをしていたのですが、塀を壊してしまって。勉強の合間によく投げに行ってましたね」
常広の出身校、大分舞鶴高は県内でも有数の進学校だが、その原点は常広家の教育方針にある。
「僕ら親としても大学まで行ってほしくて、中学校までは文武両道でやっていました。塾に通わせていた時期もありますし、本人は小学生の頃から算数が好きでした。もともと羽也斗も勉強は嫌いじゃなかったと思いますし、勉強して疲れたら素振りして、また勉強して、疲れたら壁当てをしてくる、という感じでした」
常広には、理系の竜也さんから多くのものを受け継いだと思わせるようなエピソードがある。
■「投げ方が分からない」と泣いていた
「小学生の時、『投げ方が分からない』といって泣いていたことがあります。きっと自分の解釈とイメージに相違があって、それをどうしていいのか分からないのが嫌だったのだろうと。羽也斗は昔から数学などが好きだったのですが、理数系の科目は仕組みや道理が分かると解ける。そういうのが好きだったのだと思いますし、僕もこの子は何かいいものを持っているんだろうと思っていました。いい指導者に出会い、メカニズムとか仕組みが分かれば、どんどん進化していくのだろうなと」