「解読 ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』」橋本努著
先の国連の気候変動サミットで、スウェーデンの16歳の少女グレタ・トゥーンベリが、温暖化対策に手をこまねいている各国の首脳に対して、温暖化による気候変動で生態系が崩壊しつつある現在、「あなた方が話すことは、お金のことや、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり」と訴えた。まさに永遠の経済成長はおとぎ話にすぎず、いまや資本主義が大きな曲がり角を迎えていることは確かだ。
となれば、「資本主義の精神」とは何かを説いたマックス・ウェーバーの古典的名著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(プロ倫)に立ち返ることは大きな意味があるだろう。
同書を詳細に読み解いた本書の読解のポイントは2つ。
1つは、「プロ倫」は「プロテスタンティズムの倫理がその意図せざる結果として資本主義の精神を生み出した」という通説の理解は誤りだということ。2つ目は、「プロ倫」を「新保守主義」の観点から読むことができるということ。
1点目、禁欲的プロテスタンティズムの「倫理」と「天職」「資本主義の精神」の3つは相反するものではなく、「日常生活の合理化」という点において特徴を共有していることを丁寧に説いていく。
2点目、ウェーバーのいう「資本主義の精神」には、築いた資産を社会全体の孫世代に分配するという「新保守主義」への志向があるとする。その上で、今後は同じ資産を民間や政府を通じて孫世代の人的資本形成のために投資する「新しいリベラリズム」への志向を模索すべきだと提言する。それが果たしてトゥーンベリら未来の世代の福音となるのか。大人たちはその責任を問われている。来年はウェーバー没後100年。「プロ倫」再読のいい機会だ。 <狸>
(講談社 1900円+税)