聴覚障害の一家の長女が歌の才能を見いだされ…
「コーダ あいのうた」
うまい映画はうまい食堂の飯に似ている。当たり前のメニューでも、ちゃんとした素材と下ごしらえで、手ぎわよく仕上げて「おっ」と思わせる。そんな映画に正月早々出合った。来週末封切りの「コーダ あいのうた」だ。
アメリカ北東部の漁村に住むロッシ一家は夫婦と長男が生まれつき聴覚障害の漁師。長女ルビーだけが健聴者で昔から家族の手話通訳をつとめているが、実は彼女には本人も気づかぬ歌の才能があり、たまたま高校の音楽教師にそれを見いだされる。そこで始まる歌のレッスン。教師は自分もかつて学んだ有名なバークリー音楽院の受験を熱心にルビーに勧める。
とまあ、こんなふうに紹介すると典型的という以上にありきたりのヒューマンドラマに聞こえるだろう。食堂のメニューでいえばサンマの塩焼き定食だ。だが、これがうまい。なかなかうまい。
悪人はひとりも出てこないし、音のない世界に宿った音の才能という設定も、文字で書くとわざとらしい。なのに描写の手ぎわと運びのうまさで最後まで無理なく連れてゆく。今風にいえば「ありえねー」話なのに主人公もその家族も、実際にいそうだし、いてほしいと思わせる。見終えて知って驚いたのだが、実は両親と兄貴役は3人とも聴覚障害の俳優なのだそうだ。
こういう映画を普通の娯楽作品として製作し流通させられるのが、腐ってもハリウッドの底力というものなのだろう。ある意味で映画作りのシステムそのものの充実から生まれた映画なのである。
そして実際、システムといえば音楽界ではバークリー音楽院伝統の「バークリー・メソッド」が知られる。菊地成孔、大谷能生著「憂鬱と官能を教えた学校 上・下」(河出書房新社 上1155円、下1045円)はこのメソッドを解説したトーク版の音楽理論書。見た目以上に本格派の解説である。 <生井英考>