「世界は五反田から始まった」星野博美著
「故郷は?」と聞かれ、生まれたのは○○だけど育ったのは××……と答えに迷う人も多いだろう。では生まれも育ちも同じなら問題ないかというと、そうでもない。
東京・品川区の戸越銀座に生まれ育った著者は、故郷を尋ねられたら「五反田」と答えたくなるという。ここでいう五反田はJR五反田駅を中心に半径2キロほどの円に囲まれたエリア。著者が名付ける「大五反田」で、戸越銀座も含まれる。
なぜ五反田かというと、九十九里の漁村に生まれた著者の祖父がこの地に住み、以来3代にわたって星野家が住み続けた街だからだ。
本書は3代の足跡をたどりつつ、五反田から見えてくる近代日本の姿を浮き彫りにしようというもの。
大五反田の北の高台は高級住宅街で、南は古い商店や町工場がひしめきあう街並みが広がる。町工場が多いのは、第1次世界大戦を機に交通の便が良く土地が安かったこの地に多くの町工場が林立したからだ。その中心が軍需物資の生産で、祖父が興した工場もその関連だった。労働者も多く、昭和初期には共産党のオルグ活動の拠点となっており、小林多喜二の「党生活者」、宮本百合子の「乳房」の舞台もこの地であった。日中戦争が本格化し満蒙開拓団が組織されると、東京で最も多くの人間を満洲(中国東北部)へ送り込んだのもこの地域(武蔵小山)だった。
また軍需工場が多かったゆえ、戦争末期の1945年5月24日の城南大空襲では大規模な空襲にさらされ、祖父の工場も灰じんに帰してしまう。
祖父が残した手記を手がかりに、五反田という街が歩んだ歴史が、自らの思い出を交えながら語られていくが、その歴史はまさに近代日本が歩んだ縮図そのもの。奇をてらったかのような、「世界は五反田から始まった」というタイトルは決して大仰ではない。きっと、同じ地域に長く住んだ家族の歴史を持つ人には、それぞれの「五反田」があるに違いない。 〈狸〉
(ゲンロン 1980円)