「わたしの知る花」町田そのこ氏
「わたしの知る花」町田そのこ氏
「どこの町にも一人くらいいませんか? 若者があだ名をつけちゃうような、一風変わったおじいさんが。ところが、そのおじいさんがものすごい人生ドラマを持っていて、実はかなりかっこいい──なんてこともあるんじゃないでしょうか。そんな一人の人物を多角的な視点から描いて浮き上がらせたいと思ったのが、この連作短編集を書いたきっかけです」
小さな町の公園に現れる、高校生男子いわく「絵描きジジイ」に、女子高生・安珠が興味を持つ。80歳くらいか。黒の開襟長袖シャツに麦わら帽子。髪は真っ白でふさふさ。顔立ちはイケメンの名残がある。手にするスケッチブックには、たっぷりの文章と優しいタッチの絵。安珠は「プロの画家とかですか?」と聞くが、首は横に振られる。物語はそんな出会いから始まり、ひょんなことから、安珠の祖母が「私の昔馴染みよ」。葛城平さんだと判明する。
「私、昔勤めた福岡県内のトラック会社の社長から『俺たちの若い頃、この町ではダンスホールがはやってたんだ。俺と踊りたい女が列をつくり、ぶいぶい言わしたもんさ』と昔語りをよく聞いたんです。とすると、社長より少し若い平さんもダンスホールで踊った世代。ダンスは、ぬくもりを求める若い男女が仲を深めるのに好適な文化だったんですね。もっとも平さんは、モテたくて行ったのではなく、端っこで一人で酒を飲んでいたいタイプ。でも女性が放っておかなかった(笑)」
平さんは、中学3年のときにつらい経験をしたことが根っこにあった。「お兄ちゃま」と慕ってくれた異父妹が花束を欲しがったのに果たせず、彼女の11歳の誕生日の早朝に火事で亡くなり、自責の念に駆られ続けていたのだ。中卒後工場に就職するも、ひどいいじめにあって退職。以後“その日暮らしができればいい”とばかり女性のヒモのような生活を続ける。ダンスホールに通ったのも、その頃だった。
「妹のことと職場のいじめのことで、平さんは建設的に生きていく欲が全くなくなっていたんですね。女性と付き合うときは、人生を立て直し、その人のために生きようとするんですが、結局できない。生活能力のないダメンズですよね。多分、多くの女性が『結婚はしたくない』と思うタイプでしょう。でもね、私の目には“イケメン”と映る部分が大いにあって……」
元恋人が自分と別れて、裕福な家庭に嫁いだ。しかし、その家から逃げ出すことを切望していると知った平さんは、「犯罪を犯してでも、彼女を救い出そう」と決意し実行するも、失敗。
一方、長年描き続けている絵と文章は、亡き妹にさまざまな時代や場所を“体験”させてあげる冒険譚だったことが分かる。
平さんの住むアパートの心優しき大家さん夫妻、8年前の自分の日記を平さんに預けたヘルパーの女性ら10人以上の目線を通して、平さんの意外な人生が輪郭をなしていく。そして、読み進むにつれ、語り手自身の人生も浮かび上がり、平さんを取り巻く人たちにも心を寄せること必至。物語の最後には、安珠の祖母があっぱれな行動に出る。
「昭和から令和へ時代が変わっても、人々が生きづらさを抱えていたり、『好きな人と寄り添いたい』の気持ちを持っていたりすることは普遍。『自分なら』と考えながら読んでほしいですね」 (中央公論新社 1870円)
▽町田そのこ(まちだ・そのこ) 1980年生まれ。福岡県在住。2017年、「夜空に泳ぐチョコレートグラミー」でデビュー。「52ヘルツのクジラたち」で21年本屋大賞を受賞した。近著に「星を掬う」「夜明けのはざま」など。