主人は仕事を選び、枯れ木が静かに倒れるように亡くなった
「死ぬとはどういうことなのか」「どのような死に方がベストなのだろうか」――。
死ぬことは怖い。しかし、死から逃れることはできない。
長年、外科の看護師を務め、高野山真言宗の僧侶としても活動している玉置妙憂さんは、次のような「死生観」を抱く。
「人間の最期とはどうあるべきなのでしょうか。個人の判断基準を自分が持つ価値観(生き方)に照らし合わせ、迷うことなく明確にしておくことが大事です。ただし、死について考えるときは、肩の力を抜いて、ゆったりと思考することでしょうね」
多忙な病院勤務のかたわら、8年前に出家したとき、玉置さんは勤務先に退職願を出した。坊主姿での看護師業務は、患者さんたちに違和感を与えると思ったからである。でも、病院は退職を引き留め、在宅ケアを中心にした看護師活動を依頼した。
以来、春夏秋冬、化粧なし、作務衣姿で通す玉置さん。
病院で何百人もみとり、終末がん患者の在宅ケア、あるいは僧侶として、これまで数多くの他人の死と直面してきた。実にさまざまな死に方を見てきた。