東大合格者数が空前の記録を更新 麻布中学・高校の「群れるのを嫌がる」校風
「つかみどころがないのが麻布生の一番の特徴かな」と話すのは、私立男子校の麻布中学・高校(東京・港区)の60代OB。1970年代の6年間を同校ですごした。
「息子も麻布を卒業しているんですが、どこか斜に構えているのは僕と似ている。麻布生というのは、頑張っている姿をあまり他人に見せたくないんです。そういうところが好きで、息子にも麻布を勧めたのです」
1954年以来、東大入試のなかった69年を除き、21年まで67期連続で東大合格者数トップ10入りという空前の記録を続けている麻布。名門中の名門だが、大学受験に向けて猛勉強しているイメージはほとんどない。
「授業のカリキュラムも、大学受験を特に意識した組み方をしていない。各教科の進行は通常よりもかなり早いですが、中高一貫の進学校なら、どこもやっていることでしょう。安定した受験実績を残してきたのは、生徒それぞれの取り組みによるところが大きいのだと思います」(元教師)
いい意味で、生徒の自主性に任せているのだ。実際、それぞれが独立独歩でやっている印象が強い。開成が「統制がとれ、群れるのを好む」と評されるのに対し、麻布は「自由奔放で、群れるのを嫌がる」という。
「社会人になってからも、仲のいい同級生たちとは時々、飲みにいったりして、それが40年以上続いていますから、まったく群れないというわけではない。息子も、部活の仲間とは今でもコンタクトをとっているらしい。ただ、それが大人数になることはありません」(前出の60代OB)
■同窓会組織が存在しない理由
実は、麻布には同窓会組織がない。その理由は、70年代前半に同校で起きたある事件が関係している。
「70年春、Yさんが理事長・校長代行に選任されるのですが、これがとんでもない人物だった。教員や生徒への締めつけを強め、独裁的な体制を築いていく。リベラルな校風をことごとく破壊していったのです」
こう振り返るのは、当時をよく知る学校関係者。そのやり方に反発した生徒たちは「打倒Y代行」を掲げ、学園紛争が勃発する。まもなく劣勢に立たされたY代行は71年、機動隊導入やロックアウト(学園封鎖)という強硬策に出るが、結局、辞任を余儀なくされた。
その後、Y氏の裏の顔が明らかになる。代行在任中、学校が所有する山梨県の山中湖寮を勝手に売り払い、その代金2億4700万円を横領していたのである。Y氏は逮捕され、懲役5年の実刑判決を受けた。
「麻布にも62年に創設された『麻布学園同窓会』という組織があったんです。Yはその中心的な存在で、同窓会が理事会に強く推して、理事長・校長代行に就いた。こんなひどい人間を無自覚に学校に送り込んできた同窓会がヤリ玉に挙げられるのは当然で、解散に追い込まれたわけです」(学校関係者)
以来、麻布には同窓会がない状態がずっと続いているのだ。復活させようという動きもあったが、拒絶反応を示すOBも少なくなく、立ち消えになったままだ。
同窓会がないことで、群れる機会がさらに減少。そうした点は麻布らしさを体現しているともいえるが、「あの事件を知らない世代、特に70代以上からは、今も同窓会の復活を望む声が出ている」(学校関係者)という。
毎年4月の第1土曜日に開かれるホーム・カミング・デイ
「その代わりとなっているのが01年から始まったホーム・カミング・デイです。毎年4月の第1土曜日に開かれ、卒業生やその家族、現旧の教職員が中庭に集まり、満開の桜の下で軽食をつまんで酒を酌み交わしながら、旧交を温めるのです」(同)
20年のホーム・カミング・デイは第20回と節目を迎えたが、新型コロナウイルスが猛威を振るい始めた時だったので急遽中止に。21年はコロナ対策を万全にして、なんとか開催に漕ぎ着けた。密にならないように、中庭での立食はなし。講堂での講演会のみの実施となった。初の試みで、ライブ配信も行った。
メインは、元自民党総裁の谷垣禎一氏(63年卒)の講演。登壇し、「日本の将来に向け、麻布で学んだOBに期待すること」というテーマで話した。
「学校までなかなか来られない地方や海外にいるOBからは、オンラインで谷垣さんの姿が見られて感激したという声がたくさん寄せられました。話の内容についても、9割近くの人から満足したという回答をもらいました」(同)
■橋本龍太郎、福田康夫、谷垣禎一…麻布OBらしいのは?
これまで、麻布は2人の首相を輩出している。福田康夫氏(55年卒)と橋本龍太郎氏(56年卒)だ。谷垣氏も最有力候補と目された時期があったが、結局、叶わなかった。自民党総裁に就きながら首相になれなかったのは、谷垣氏以外では河野洋平氏だけだ。「谷垣はそれほど残念に思っていないんじゃないかな」と話すのは同級生の一人だ。
麻布時代は山岳部に所属。東大に行ってからも山登りに明け暮れていた。1年の3分の1は山の中にいたというだけに、東大を卒業するまでに8年もかかった。司法試験も何度も落ち、34歳でやっと合格した。
「そもそも、首相どころか、政治家になる気もなかった。これから弁護士を本格的に始めようという時に、父親(元文部相の谷垣専一氏)が急逝。生前、継ぐ必要はないと言われていたのに、後援会から補欠選挙に出てほしいと懇願され、仕方なく出馬する羽目になったんです」
この同級生は、谷垣氏について、いかにも麻布生らしい気質を持った人物と評する。
「内心、首相になりたいと渇望した時期もあったに違いありません。けれど、そうした気持ちはおくびにも出さない。オレがオレがという態度はみっともないと思うのが麻布生なんです」
肩ひじを張っていないように見えるのが麻布の強み。超名門校の座は当分、揺るぎそうにない。