クラブハリエ 山本隆夫社長(1)バームクーヘンの大ヒットで"たねや洋菓子部門"から大成長
社長業だけでなく、クラブハリエのパティシエのトップで“プレーイングマネジャー”として活躍している。そして、生菓子商品が中心で赤字だった同部門の変革に奔走した人物でもある。
社長業、そしてシェフとして活躍する山本氏は、クラブハリエを代表するバームクーヘンのヒットを生み出すだけではなく、赤字だった洋菓子部門の変革を成し遂げ、クラブハリエを、日本を代表する和菓子店たねやと並ぶ洋菓子店に成長させたのだ。
「もともと、たねやは材木屋からスタートしました。時代の流れとともに穀物の種を売り始め、1872年に菓子屋を創業しました。そして、たねやの洋菓子部門がスタートしたきっかけが、近江八幡で、建築や学校教育の普及に尽力したヴォーリズさんの存在でしたね。ヴォーリズさんが、たまたま、たねやの近くに引っ越して来られ、先々代が懇意にさせてもらっていたと聞いてます」
クラブハリエのバームクーヘンが生み出されたのは、クラブハリエが本社を置く近江八幡市に縁がある。近江八幡市に洋館街が形成されたきっかけとなった人物が、20世紀初期に建築家として活躍したウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏。関西学院大学や同志社大学など、ヴォーリズによって建てられた建物は、ヴォーリズ建築と呼ばれ、日本に多くの影響を残した人物である。
ヴォーリズ氏が、英語教師として近江八幡市に赴任してきたことが、のちに、クラブハリエのグループ会社であるたねやに、洋菓子部門がつくられるきっかけとなった。 =つづく
(ジャーナリスト・中西美穂)