アマ野球が長いからこそ抱いたプロの五輪出場への違和感
それが00年シドニー五輪でプロアマ混合チームが誕生。当時は代表の合宿時間も少なく、グラウンド内の連携どころか、日常のコミュニケーションすら少なかったと聞きました。その影響が大きかったのか、シドニーはメダルなし。そうした反省もあって、04年アテネ五輪はオールプロで臨むことになりました。
でも、大学、社会人とアマ野球に身を置いていた僕からすれば、「もうプロになったのに本当に五輪に出ていいのだろうか?」と、どこか複雑な気持ちでした。アマ選手が五輪に強い憧れを抱いているのは、僕自身が身をもって知っている。それだけにオールプロ、結果としてアマ選手の目標を奪ってしまったような気になったのです。
もちろん、いざ予選が始まり、本戦となれば話は別。日本野球の威信のためにも、長嶋監督のためにもとチームが一丸となりました。
ところが、オールプロだからこそ誰も気付けなかった、アマチュアなら絶対にしなかったであろうミスを五輪本番で犯してしまったんです。次回以降は、そうしたことにも言及していきたいと思います。 (つづく)