元ロッテ山崎裕之氏が村田兆治氏を悼む「頑固一徹、でも試合になると野手と息ぴったり」
伝説のマサカリ右腕が天国へと旅立った。
11日未明、元ロッテ投手・村田兆治氏(72)の自宅から出火。村田氏は搬送先の病院で死亡が確認された。
1967年ドラフト1位で入団し、ロッテ一筋、22年。大きく上げた左足で踏み込み、思い切り右腕を振るフォームが「斧を振り下ろすかのよう」といわれ、マサカリ投法と名付けられた。剛速球と落差の大きいフォークを武器に、長きにわたりエースとして君臨。通算215勝177敗、2363奪三振、防御率3.24。最多勝1回(81年)、最多奪三振は4回(76、77、79、81年)獲得した。
「兆治は私の3歳下。亡くなるのがあまりに早すぎますよ……」と声を落とすのは、村田氏とロッテで長年プレーし、同じ名球会会員の山崎裕之氏だ。
「とにかく頑固一徹。マイペースで人に合わせることが出来ない男だった。群れないというより、誰も兆治についていけなかったというのが実情です。でも、いざ試合になると連係プレーで野手と息をぴったり合わせていた。私は二塁手だったので、一塁走者を横目でちらちら見つつ、走りそうな気配があると『頑張れ兆治!』と声を出す。彼の名前を出すことが『走ってくるぞ』という合図だったんです」