坂本龍一さんは政治に従属を強いられる芸術の「居場所」を案じていたのではないか
坂本さんは、ともすれば政治に従属を強いられる芸術の「居場所」を案じていたのではないか。政治に縛られたくなければ、政治に物を言うしかないと身をもって証明しているようでもあった。
2001年のアメリカ同時多発テロ事件を現地で体験した彼は、その数ヶ月後にTBS「筑紫哲也NEWS23」(テーマ曲を作曲)に出演、「音楽にできることは何か」と訊かれて「(市民と兵士と統治者に)音楽という人類にとって宝のようなものがあることを思い出させる音楽が必要」と答えた。また2012年には脱原発デモで「たかが電気のために(なぜ命を危険に晒されなければいけないのか)」と発言、賛否両論を呼んだ。彼のこうした独特の表現は時として言葉足らずだったかもしれないが、いつだって考えるヒントに満ちていた。
坂本さんの父親が、昭和のアンガージュマンの代表格である三島由紀夫(『仮面の告白』)や小田実(『何でも見てやろう』)を担当した名編集者・坂本一亀というのは、知る人ぞ知る話。ひとりっ子の坂本さんに大きな影響を与えたことは言うまでもない。音楽の子は言葉の子でもあった。