鮒忠 安孫子節人社長(1)小学生の時「鮒忠の焼き鳥はうまい」と刷り込まれた
■全国出場の夢を断たれ進学の道へ
安孫子は1981年、サッカーの名門・市立習志野高校に入学した。小中学校は攻めのセンターフォワードだったが、高校からは攻守の要であるボランチを務めた。高校3年の時はキャプテンを務めた。Jリーグがスタートするはるか前の時代である。正月の全国大会出場が夢だった。1984年、千葉県予選の準決勝で八千代松陰に敗退。全国出場の夢を断たれた。
この時点で安孫子は燃え尽きた。順天堂大学や住友金属(現在のアントラーズ)などからのスカウトを断り、早稲田大学の受験一本に絞った。
「偏差値28からのスタート。全国模試を受けたら下から8番目でした。ただ、数学だけは小学校から高校までずっと5だったことが支えになりました。2浪して偏差値が74まで上がり、早稲田大学の人間科学部に合格しました」
大学を卒業する4年生の時、小学校の同級生だった根本由美子を正月のラグビー早明戦に誘った。由美子は大妻女子短大を卒業し、「東京ニュース通信社」に勤務していた。