正社員になり昇進も 後進を育てる夢を叶えぬまま旅立った
そんな加藤が会社の定期健診で「胃がんの疑いがあり」と言われて入院したのは81年7月末だった。再診の結果は胃潰瘍。胃を3分の2ほど切り取り、3カ月入院し、念には念を入れて再度がん検査をしてもらった。その結果、「ほぼ99%大丈夫です」と語る医師の言葉を信じた。
吉報もあった。入院生活を終えた翌82年3月、加藤は異例とも言えるスピードでソニー本社の勤労課長就任の辞令を手にしたのだ。
「これでようやく一人前のソニーマンになれたよ。体操と同じだ。コツコツやれば報われる。もう安心だ……」
妻の宏子に真っ先にそう報告した。さらに数日後は、母校の早稲田大体操部OB会に出席。加藤は、照れ顔を見せつつも「昇進しました」と、課長の肩書が刷り込まれたばかりの名刺を手渡した。むろん、OBたちはこぞって祝福した。
そんな加藤にOBたちは、早大体操部コーチ就任を打診してきた。もちろん、彼は喜んで近い将来引き受けることを約束した。メキシコオリンピックで金メダリストになって以来、いずれメダルを狙えるオリンピアンを育てたいと思っていたからだ。