工藤公康さん 人生のターニングポイントは4回「高校進学で人生が変わった」

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熊谷組から西武入団のドンデン返し

 ──投手として大活躍した高校時代は甲子園でチーム史上初のベスト4進出を果たした。

 高校を出たら社会人野球の熊谷組(名古屋)にお世話になることになっていました。東京の本社にも名古屋支社にも挨拶を済ましていた。本当はプロに行きたかったですよ。でも、父親に「おまえなんかプロで通用するわけがない」と言われて、僕も素直に「そうか」って(笑)。

 父親は12球団に「指名しないでほしい」という内容の手紙も送っていました。ところが、ドラフト西武だけが指名して(6位)、責任者の話を聞いてくれないかと言ってきた。それで話を聞いた父親がコロッとひっくり返っちゃった。

 あれは夜中の3時でした。父親に叩き起こされ、「ここに座れ。おまえはプロに行け」といきなりです。寝ぼけ眼の僕は「エッ、嘘やろ」。父親はそんなことは意に介さず「俺の言う通りにすればいい」の一点張りです。

 納得がいかないので、せめてもの反抗で3日間家出しました。あの時は何か裏があるんじゃないかとマスコミに叩かれたけど、何もあるわけがありません。僕が一番困っていたんだから。

■アメリカから帰ってスピードが10キロアップ

 ──1982年、広岡監督時代の西武に入団した。

 プロになってからのターニングポイントは3年目の7月です。

 西武にはすごい先輩たちがいて僕は体力、スピードも大したことがないし、当時はワンポイントの投手でした。自分では3、4年したらトレードに出されてそれから1、2年したらやめていくような選手だろうなと思っていました。ところが、突然アメリカに行けと言われ、1Aのカリフォルニアリーグでやることになった。

 最初は野球を勉強してこいということだと思っていました。でも、違っていたんですね。行ってみてわかったのはそこで頑張っている選手の考え方を肌で感じてこいということだと。向こうの選手は成績が上がらなくてクビになっても、誰一人として野球をやめるような人はいなかった。俺に力がないんじゃない、やればできる、いつかアメリカンドリームを手に入れるんだと必死の姿を目の当たりにしました。

 そんな彼らを見ていたら、何をやってもダメだし、どうせ野球をやめていく人間だと思っていた自分がすごく恥ずかしくなった。それからは自分がどれだけ努力するかが大事だと気がつき、筋力からつけた。ベンチプレス、スクワット、デッドリフト……。

 それで鍛えられ、日本に戻った時はしっかり投げられるようになり、ボールのスピードが10キロ速くなっていました。勝てるようになったのは翌年(85年)からです。シーズン途中から先発に回って8勝し、規定投球回数をなんとかクリアして初めて最優秀防御率のタイトルを獲得できました。

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