奥田経団連が自画自賛した2年後の2008年、派遣労働者は真っ先に切られ40万人が失業
非正規への追い込み30年(4)
トヨタ会長の奥田碩は2006年、経団連会長としての最終年を迎え、自身の実績に自信満々だった。
02年の就任以来、経団連の政党評価で自民党に高得点をつけて会員企業に献金を促した。トヨタ自身、率先して自民党に献金。6440万円でトップだった04年には、法改定で製造業への派遣労働を解禁させることに成功した。
06年の経団連・経営労働政策委員会のリポート「経営者よ 正しく 強かれ」では、自画自賛するようにつづった。
「バブル経済とその崩壊によるダメージはきわめて大きく、その後の低迷は長きにわたらざるをえなかったが、日本経済が今日の回復をみることができたのは、政府による構造改革への取り組みもさることながら、なによりわれわれ民間企業の努力によるところが大きいと自負する」
ではどれくらい努力したのか。経営者と従業員が「歯を食いしばった」のだと言う。
「『失われた10年』といわれた苦難の時期に、きびしいスリム化や事業再編に迫られながら、歯を食いしばって将来に向けた研究開発や人材育成への投資を続けてきた経営者、そして従業員の懸命のがんばりが、日本経済をよみがえらせたといっても過言ではあるまい」