経営難で…猪熊功氏は自宅で頸動脈を切る練習を繰り返した
猪熊功さん(1964年東京五輪・男子柔道80キロ超級 金メダル)
神奈川県横須賀市の曹源寺は高台にあり、市街を一望することができる。すでに死を決めた63歳の猪熊功が、この菩提寺に最後に足を運んだのは2001年9月22日。「猪熊家之奥都城」と刻まれた墓に合掌、故郷の街を眺めたとき、どんな思いが去来したのか……。
その6日後の9月28日、東京・新宿駅中央東口近くにあった東海建設本社。社長室で猪熊は、約40センチの脇差しを手に、練習通り狙いを定めて首を突いた。自刃したのだ。
中学時代に姿三四郎に憧れて柔道を始め、全日本選手権で優勝したのは1959年の東京教育大4年のとき。身長173センチ・体重83キロの小躯で制したのは史上初だった。
そして、5年後の東京オリンピックでも重量級決勝では、190センチ・120キロのカナダのダグ・ロジャース相手に金メダルを獲得。翌65年には、念願の世界選手権無差別級をも制している。
27歳で引退し、東海大系列の東海建設に入社。73年には東海大教授に就き、山下泰裕(現JОC会長)をスカウトしている。
また、79年に心酔する総長の松前重義が国際柔道連盟会長に立候補した際は、票集めのために各国を訪問し、当選させている。