しゃぶ禅 菅野雄介社長(1)「マハラジャの生みの親」が立ち上げた「しゃぶしゃぶ専門店」
「今思えば甘えでしかありませんが、普通に暮らしていけるのに目的もなく勉強することへの価値が見いだせなかったんです。父親には何度も怒られたし、家庭教師を付けられたりもしました。それでも、その時は親心に気づくことができませんでした」
結局、大学に進学したものの授業も欠席しがちで、4年の時に留年が決定。見かねた父親から「このまま通っても意味がないから、大学を辞めて働け」と言われて、強制的に父親の会社に入社させられた。
■閉店まで皿洗い、接客、掃除…
最初に携わったのは不動産事業だった。時は90年代後半、バブルは崩壊し、ディスコブームも下火になっていた。会社は事業の主軸をしゃぶ禅に移行するとともに、バブル期に取得した不動産を整理して組織のスリム化を図っていた。
「大金を動かすのは刺激的だったし、売買の仕組みや資金繰りについて学ぶことは今後に役立つと思い、興味を持ちました」と菅野氏は言う。ただ、仕事はそれだけではなかった。菅野氏は夕方に不動産の業務を終えるとしゃぶ禅の店舗に向かい、閉店まで働いたという。それも無償で。