膵臓がんで亡くなった先輩医師にはさまざまなことを教わった
1972年、B先生は「がん化学療法の実際」という単行本を出版されました。当時は、固形がんに対する抗がん剤の専門書はほとんどなかった時代です。その後、私は論文を書く際にこの本からたくさん引用させていただいたと記憶しています。B先生は、横浜から片道1時間以上、満員電車で通勤される毎日でした。いつ論文を読み、本を書く時間があったのだろうか? 今でも不思議に思います。
B先生から私が本当に教わったことは、「先輩とはこういうものだよ」ということだった気がします。
私が心臓の手術をした数年後の同窓会の帰り、夜の駅のホームで、B先生は少し千鳥足になりながら、「おい、体に気をつけてな。無理すんなよ。死ぬなよ」と大きな声をかけてくれました。そして、反対方向の満員電車に乗られ、手を振って行かれました。それが、B先生とお会いできた最後でした。
その2年後、B先生が膵臓がんで亡くなられたと聞きました。あれからすでに5年たちます。
新橋駅近くの居酒屋を思い出します。いつも、ニコニコ、優しい目、べらんめい口調で、大きく私を包んでくださいました。
「おおい、体に気をつけてな。無理すんなよ」