野口みずきは1年半でワコール退社し失業…資金難から出場した犬山ハーフをきっかけに開花
新たな引き受け先が決まらない間も、練習はこれまで通り、西京極(京都)の競技場を使えていたが、何しろ活動資金がないので出場できる大会は限られる。
「選手とスタッフの宿泊、交通費まで面倒見てくれる大会はないかな」
ある陸上誌の記者に相談したところ「犬山ハーフマラソンなら出られるかもしれませんよ」と教えてくれた。当時の野口は5000メートルも1万メートルもさっぱりだった。ところが、99年2月の同大会に出場したら1時間10分16秒の好タイムで優勝。
「え⁉ なんでやろ」とえらく驚いた。
「もしかしたら野口は長い方が向いているのでは」と思ったのはこのときで、7月の札幌ハーフもリディア・シモンに次ぐ2位。日本選手トップで同年10月の世界ハーフの代表となり、世界の舞台でも2位でゴールした。その後は多くのハーフ大会で好成績を残し、「ハーフの女王」と呼ばれるようになり、フルマラソン挑戦-アテネ五輪へと続くわけだが、失業中でなければ犬山ハーフに出ることはなく、野口の開花は遅れていたはずだ。(つづく)